なぜこの記事を書いたのか
2026年2月8日、衆議院選挙の開票速報。 地元の駅前で何度も演説していた、あの候補の名前が「落選」と表示された瞬間、胸がズキッと痛んだ。
「この人、生活者目線で話してた」 「子育て支援の財源を、ちゃんと説明してくれたのはこの人だけだった」 「“現実的な希望”を語ってくれたのに…」
でも、彼は落ちた。 勝ったのは、SNSでバズっていた“改革断行”を掲げる新人候補。 「この国をぶっ壊す」と叫び、拍手を浴びていた。
正直、悔しかった。 でも、ほんの一瞬だけ、心が揺れたのも事実だ。 「わかりやすいな」「スカッとするな」——そんな感情が、頭の隅をかすめた。
私は、完全な傍観者じゃない。 この時代の空気の中に、私もいる。
「これって、本当に“ちゃんと”選ばれた結果なの?」
その違和感が、この記事の出発点です。
📊 衆院選2026、何が起きたのか?
- 自民党:316議席(前回比+61) → 単独で憲法改正の発議ライン(310)を超え、戦後最多の議席数を獲得。 → 地方では「安定」「実績」「補助金」への期待が強く、圧倒的な支持。
- 中道改革連合(立憲民主+公明):49議席(前回比−123) → 都市部での支持が急落。20〜30代の「変化志向」が保守票に流れた。 → 出口調査では「中途半端」「何をしたいか分からない」という声が多数。
- 社民党:議席ゼロ(戦後初) → 比例復活もならず、国政から完全に姿を消す。
- 投票率:56.26%(前回比+7.4pt) → SNSでの「投票チャレンジ」やインフルエンサーの呼びかけが奏功。 → 18〜29歳の投票率が過去最高を記録。
そして、もうひとつ注目すべき点がある。 “強い言葉”を持つ候補が、票を集めた。
「ぶっ壊す」「ゼロからやり直す」「敵はあいつらだ」
——そんな単純で、刺激的で、感情に刺さる言葉たち。 それは、複雑な現実を“わかりやすく”してくれる魔法だった。
「丁寧に説明する言葉」より、 「一瞬で熱を上げる言葉」が勝った。 それが、今回の選挙の象徴だった。
😨 「中道が消えた」ことに、あなたは驚いた?
私は、驚いた。 いや、正確に言えば、怖くなった。
「中道」って、極端じゃないからこそ、安心できた。 「この人なら、暴走しないだろう」 「この党なら、話を聞いてくれそうだ」 そんな“信頼の余白”があった。
でも、今回は違った。
「中道?なにそれ、結局どっちなの?」 「はっきり言わないやつは信用できない」
「え、これからの政治って、白か黒しかないの?」 「グレーは、もう許されないの?」
その“空気”が、私は怖かった。
🧠 「中道の終焉」とは何か?
曖昧さが許されない時代の構造と心理
「中道の終焉」——これは、単なる選挙結果の話ではない。 もっと根深い、社会の構造と心理の話だ。
なぜ、曖昧さが許されなくなったのか?
- SNSの即断即決文化
- 分断型アルゴリズム
- 生活不安の拡大
- 自己責任論の浸透
そして、もうひとつ。 人は、考えるより信じる方が楽だからだ。
考えるには時間がかかる。 考えることは、自分の責任を引き受けることでもある。 でも信じることは、判断を誰かに預けられる。 そして何より、信じて裏切られたとき、人は「被害者」でいられる。 でも、考えて間違えたときは、自分が「加害者」になる。
だからこそ、「ぶっ壊す」は刺さる。 私たちは、そういう時代に生きている。
⚠️ 「ちゃんと考える」だけじゃ、もう足りない
「政治に関心を持とう」 「ちゃんと考えよう」 …うん、それは正しい。だけど、それだけじゃ甘い。
ここで、あえて言います。
- 感情で投票したなら、その自覚を持とう
- 「なんとなく」で選んだなら、その“なんとなく”を言語化しよう
- SNSの見出しだけで判断するのは、もうやめよう
そして、これは自戒も込めて言います。
私自身、あの候補に投票した理由を、あとから言語化しようとして、詰まりました。 「なんとなく信頼できたから」 「なんとなく、ちゃんとしてそうだったから」
——それじゃ、足りなかった。
足りなかったのは、比較する視点と、自分の中の覚悟だった。
たとえば:
- 財源の根拠を比較したか?
- 候補者の過去の実績を調べたか?
- 「強い言葉」と「中身」の差を見抜こうとしたか?
私は、していなかった。
💬 あなたは、どう感じた?
今回の選挙、あなたはどう見ましたか?
- 「やっぱり自民しかないよね」
- 「中道、何がしたいのか分からなかった」
- 「投票したけど、正直、迷った」
- 「投票しなかった。誰にもピンとこなかった」
どれも、正直な気持ちだと思います。 でも、もしよかったら、聞かせてください。
あなたの「ちゃんと」は、どこにありますか?
❓ 「ちゃんと」って、誰のための言葉?
「ちゃんと働け」 「ちゃんと勉強しなさい」 「ちゃんとしなきゃダメでしょ」
この言葉、誰のためにあるんでしょう?
政治家が「ちゃんと説明しました」と言うとき、 それは本当に“伝わった”という意味なんでしょうか?
「ちゃんと」は、時に便利な逃げ道になります。 でも同時に、誰かを黙らせる圧力にもなる。
あなたは、どんな「ちゃんと」に、縛られてきましたか?
🔥 モヤモヤは、あなたの中の“警報”だ
モヤモヤしている——それは、あなたの中にある“警報”です。 「何かがおかしい」と感じる感覚。 それは、まだ思考が生きている証拠です。
無関心より、ずっと健全。 「どうでもいい」と思わないこと。 それだけで、もう十分に価値がある。
でも、ここで止まってしまえば、 そのモヤモヤは、やがて“慣れ”に変わってしまう。
この選挙、私は怖かった。 「曖昧さ」が消えていく社会に、息苦しさを感じた。 でも、同時に、私たちが“ちゃんと考える”ことをやめたら、 もっと怖い未来が来るとも思いました。
正直に言えば、私はまだ「ちゃんと怒れて」いません。 怒りたいのに、どこにぶつけていいのか分からない。 でも、それでも、怒りを持ち続けたいと思っています。
なぜなら、怒りを言葉にしないままでいると、 誰かの「ぶっ壊す」に、すべてを持っていかれる気がするからです。 沈黙は、強い言葉の味方になる。 だから私は、黙らないと決めました。
そして、もうひとつ。 あなたが“楽な方”を選んだ結果が、今です。 それを直視しない限り、次もまた、同じ選択が繰り返される。
✅ 最後に|あなたの「ちゃんと」は、誰のためにある?
ここまで読んでくれて、本当にありがとう。
もし、この記事が少しでも「わかる」「考えたくなった」と思えたら、 ぜひSNSでシェアしてください。 あなたの「ちゃんと」が、誰かの“気づき”になるかもしれません。
そして、コメント欄で教えてください。
- あなたが「ちゃんと選んだ」と思える瞬間は、どんなとき?
- 「ちゃんと伝わった」と感じた経験、ありますか?
- 逆に、「ちゃんとしなきゃ」に疲れたこと、ありませんか?
あなたの声が、次の「ちゃんと」をつくります。 でもその前に、ひとつだけ。
あなたは、今の政治に「ちゃんと怒れて」いますか?
私は、これからも迷いながら怒ります。 私は、怒りを言葉にする練習を続けます。 怒らないほうが楽でも、それを選ばない。
それが、私なりの「ちゃんと」です。
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